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『カルロス・ゴーン日産私物化事件』

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『カルロス・ゴーン日産私物化事件』

  • カルロス・ゴーン
  • 日産
  • 私物化


従業員を切るときの心の痛み。ゴーンは只のコストカッターに過ぎない軽蔑すべき奴だ。

日本、日本の文化、日本人、全てを土足で蹂躙したケダモノだった。

日産の馬鹿経営陣は馬鹿の証拠にこんな奴を受け入れたのだ。




https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3796274020112018EA2000/

 会社資金を流用か ゴーン会長逮捕、司法取引の可能性

    2018/11/20 1:52

日産自動車のカルロス・ゴーン会長が19日、報酬約50億円を有価証券報告書に過少申告した疑いで逮捕された。日産の海外子会社に購入させた高級住宅を無償で利用した疑いもあるという。ゴーン会長は日産の経営だけでなく、仏ルノーや三菱自動車との3社連合の要として成長を主導してきた。大物経営者の突然の逮捕は3社連合の屋台骨を揺るがす。

【関連記事】ゴーン会長、投資名目資金で自宅購入か 20億円超

記者会見する日産自動車の西川広人社長(19日午後、横浜市西区)
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記者会見する日産自動車の西川広人社長(19日午後、横浜市西区)

「(ゴーン会長が)当社の資金を私的に支出していた」。ゴーン会長が逮捕された19日夜、日産は声明を発表し、私的流用の可能性を示唆した。巨額報酬への批判もあった陰で、さらに多くの報酬を得て金融商品取引法に基づき適切に開示していなかったことになる。

金商法が適切な決算情報の開示を企業に求めるのは、投資家に正しい判断材料を提供し、市場の公正さを守るためだ。過去に有価証券報告書の虚偽記載容疑で摘発されたのは売上高や利益などを偽った粉飾決算が多く、報酬の過少申告に同法違反容疑が適用されるのは極めて異例だ。

今回の捜査は日産側からの被害相談が端緒になっている。西川広人社長は記者会見で「コメントできない立場にある」として明言を避けたが、日本版司法取引の対象になった可能性があり、法人としての日産の処罰の行方も焦点となる。

【関連記事】日産関係者と司法取引 捜査協力、刑事処分を減免

同社の社内調査ではゴーン会長が海外子会社に自宅として海外の高級住宅を購入させていたことが判明。その他にも複数の会社資金の私的流用が見つかったという。

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事件の本質はゴーン会長による私的流用にあるといえ、通常は会社法の特別背任や刑法の業務上横領容疑の適用が検討される。ただ、海外子会社を使った取引は金額の確定などが難しい。特に「会社に意図して損害を与えたこと」が構成要件となる特別背任容疑は、損害額を明らかにする必要があり、立証のハードルは非常に高い。

東京地検特捜部は私的に流用された資金を「本来は有価証券報告書に記載すべき報酬」と捉えることで有価証券報告書の虚偽記載容疑の適用が可能になると判断した。

会社法や金商法に詳しい早稲田大学の上村達男教授は「金融商品取引法の虚偽記載という『形式犯』をきっかけに企業のガバナンスが正されるのであれば、捜査機関として正しい動きだ」と今回の摘発を評価する。

元検事の早川真崇弁護士は「虚偽記載額の大きさに加え日産の業績をV字回復させたゴーン会長の影響力などを重視したのだろう。投資家や証券市場の信頼を大きく損ねた点で処罰価値が高い」と強調する。

業績の低迷に苦しんでいた日産の再建をけん引したゴーン会長。その「側近中の側近」として知られるのが、19日に逮捕されたグレッグ・ケリー容疑者だ。

米大手弁護士事務所出身の弁護士で、1988年に日産の米国法人に入社。2008年に日産自動車執行役員を経て12年から代表取締役を務める。最高経営責任者(CEO)オフィスを取り仕切り、幹部人事や報酬などを決定する際に大きな影響力を持っていたとされる。

ゴーン会長の私的流用には、オランダにある日産の子会社が使われたとされる。10年に資本金を全額日産が負担して設立した。ケリー役員が設立時から関わっていたという。

特捜部は私的流用された資金の流れの解明を進めるとみられる。早川弁護士は「関係先が海外にある場合、関係者の聴取や資金の流れの把握が難しいケースも想定される」と話している。

『寿し常~溶けたウニ食あたり事件』

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寿し常~溶けたウニ食あたり事件

  • 寿し常
  • 溶けたウニ
  • 食あたり
  • 店長
  • 寿し職人
  • フロアスタッフ
  • トラブル担当役員 
  • 社長



実際にニュースに乗った食中毒事件は記憶にない。しかし、ニュースにならない個別の食あたりが起きていることは確かだ。



保健所に即時通報!

寿し常で何か食べて少しでも体調が悪くなったら直ぐに保健所に電話すること。

不良食材を平気で使うのでいつ自分に不衛生な食材が回されるか分かったものでない。



寿し常の店にはお客様の声をお聞かせくださいとアンケート用紙のようなものが置いてある。純粋にお店の経営に役立てたいのだろうと思ったが、保健所へ通報されるトラブルを事前に察知して手を打つのが狙いだったようだ。それはそれで健全な考え方だ。


お客の声を届けても社長は出てこない。普通はそうだ。


トラブル担当の役員がいる。手慣れた対応。全店舗の顧客トラブルを一手に引き受けて応対を繰り返しているうちに色々な作法も身についてしまったのだろう。 トラブル対応コストを抑えるのも担当の仕事。コストミニマムもやり過ぎたら別の問題になることに気づいていないようだ。

常務はとても誠実そうな人と言う話も聞いた。そうかも知れない。そういう人でないとトラブル対応の仕事は務まらないのだ。問題は誠実な人柄だけではどうしようもないということ。残念ながら今の世間は最後は金計算。嫌だね。

腐敗が始まったウニを出して客に何日も迷惑かけて、お詫びがこの程度なら本当に謝罪する気が合ったのか怪しいものだ。会社の方針か。


だったら、寿し常で何かあったらクレームなどしていないでさっさと保健所に通報してしまうことだね。そうか絶対に入らないか。



以上は年末の飲み会で出た話。どこまで本当か分からない。

少なくとも、生ものを扱う寿司屋は油断できない。

店に入ったら生臭い匂いがしたというからもともと不衛生な店だったのだろう。そういう店は直ぐに引き返すことだ。寿し常に限らない。

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『スポーツ界の闇を照らすメディアの暴力事件報道』


スポーツ界の闇を照らすメディアの暴力事件報道

  • 速見コーチの平手打ちは暴力に非ず
  • 塚原千恵子の宮川紗江虐めは理不尽な暴力(パワハラ)

 

<暴力の定義>

暴力は絶対駄目ですとメディアの人もスポーツに携わる人も普通に言ってくれます。しかし、暴力のイメージ、定義は必ずしも同じではない。というより全くバラバラでしょう。試に、暴力を定義してくださいと頼めば、辞書でも引いてくるか、頭のなかのイメージを文字にするか。辞書はハラスメントなど新しい概念に追いついていないし、それこそ必ずしも正しいものかどうか分からない。

人が人に対して直接的にまたは間接的(第三者を介在させる)に与える影響行為。人が人に対して行うストロークあるいはパワー行為。人と人との関係行為。単に人と人との関係行為としてもいいだろう。

この関係行為が暴力なのか暴力でないのか?。それが今回のテーマ。

いきなり結論を言うと拍子抜けするが、「人権侵害」に相当すると「暴力」になる。でもこれは問題を摩り替えていることになりかねない。括りを大きくして分かり難くなっている。

その関係行為が、関係者の間で事前に了解されているものかどうか。もしくは事前の了解事項の範疇にあると信じることができるだけの信頼関係が成立しているかどうか。

全てを文字にはできない。文字の行間、意図するものを正しく同じように理解することが要件となる。そのためには信頼関係が確立していなければいけない。(善良なる管理者の概念に似ている)

暴力行為は、事前了解・事前合意・信頼関係のどれかを1つでも逸脱していたら該当することになる。

暴力の形は様々。メンタルな部分への暴力については法律が追い付いていないことが多い。

速見コーチの宮川紗江へのビンタは事前了解であり信頼関係を今なお損ねていないので暴力ではない。

塚原千恵子は信頼関係を喪失した中での移籍強要、練習機会妨害などであり、立派な暴力だ。



フジテレビバイキングMCの坂上忍は馬鹿だから切り取られた画像を見て暴力と言っているが、そういう自分を何とも思わないのだからMCなど失格だろう。橋の上からのジャンプでも後ろから誰かが背中を押している画面を見たら、暴力と言うのか?。遊びというのか?。坂上の馬鹿に聞いてみたいものだ。事前に躊躇したら5秒で背中を押してくださいと言われているのか、絶対に飛びたくないので絶対に押さないでくださいと言われているのか。2人の事前の合意内容と、2人の人間関係(他人か親友か)などでも変わってくる。メディアの人間が切り取られたビデオの一部で判断するなんて非常識にも呆れる。



ここでいうスポーツは余暇を楽しむ行為としての理念的なスポーツにまで範囲を広げるとミスリードするかも知れない。

筋肉を上手に使うことが求められるスポーツを教える場合はコーチと選手は接触するのは必然。どの程度の速さか強さか角度かなどを教えるには相応の接触とプレッシャーがかかる。暴力とは言わない。

この場合の線引きは、1つは、怪我につながることが無い。1つは、選手の成長あるいは安全のために行っている。1つは、選手は納得している。求めている。1つは、選手とコーチの間に信頼関係がある。指導内容は合理的で、2人が相互にベストと信じていて、将来的にも変わることは無い。

この定義に従えば、宮川選手への速見コーチの行いは暴力ではない。合理性に疑問を持つかもしれないが、体操競技の特殊性、一つ間違えば大けがで選手生命どころか本当の命までも失いかねない。その危険を回避するために取った覚醒のための刺激と理解することは十分可能で二人とも理解している行為。信頼関係が高いレベルで実現されている証拠と言える。

普通は信頼関係もないので覚醒のための刺激など入り込めない。やれば暴力として訴えられる。宮川~速見の行いを非難する人は自分が達成できなかったものを見せられて嫉妬しているだけだ。

ボルダリングを最初に見たときは非常識と騒いだ人もいるが今はスポーツ。スカイダイビングはどう見てもクレージーだがこれもスポーツ。自分の常識を他人が超えている時は騒ぐ人が多い。危険なことに変わりがないから気を失うことが無いように気合を入れるのは逆に常識だろう。気合を入れる行為を暴力と言って非難する人は逆に選手の命を奪うことに加担することになる。

もちろん、自分で自分にびんたしても構わない。

さて、

将棋クラブでコーチ(師匠)が選手(弟子)を教える時に、緊張のあまり平常心を失っていたら、覚醒刺激のびんたが必要な時もある。グランド一周でもいい。冷水で顔を洗ってきてもいい。文科系のスポーツでもメンタルを鍛えるための色々な工夫がある。これも、上の定義に沿って考えれば、普通に許容されて実施されている。

強い精神力は逞しい体に宿ることもある。レベルは変わるが文科系でも肉体は重要だ。誰でも知ることだろう。

では、

何が暴力か。肉体的接触を持って無理やり相手にけがをさせる行為。傷害行為。勿論、道具を使っても同じ。

医者は手術は、死ぬリスクもあるが、相手が了解していることで暴力とされない。

暴力は皮膚や臓器や肉体を損傷されるにとどまらない。精神的に傷つけることも含む。脳科学が発展しているから、精神的な暴力は実は脳そのものを破壊している行為であるということ。立派な障害行為なのだ。今から数年もすれば肉体と精神を分けて考えることの不合理性が常識になるだろう。


要するに、精神的であろうが肉体接触であろうが暴力は暴力。肉体接触の無い精神的暴力の検証には確立した方法論が必要。鬱病、対人恐怖症、不眠症、自律神経失調症、など症状は色々ある。

セクハラは肉体と精神に対する最悪の暴力。

パワハラは立場を利用した悪質な強制強要行為。権利、人格、立場、身分、社会性、などを 傷つけ社会的経済的精神的にダメージを受ける。普通の業務指示、業務アドバイスとどう違うか、ちょっと難しい。労務契約、職責職権を越えた行為はパワハラ。



社会的な関係と無関係に行われた暴力(傷害、監禁、罵声、恐喝なんでも)はそのまま犯罪。

社会的関係 を利用して行われた暴力(セクハラ、パワハラ、・・・ハラハラ)はハラスメントと呼ばれる。

いずれも本質は合意のない無理強い。

合意があれば、肉体的、精神的にどのように厳しくても、教育、訓練、治療、業務命令、サポート、職務などとされる。



合意の有無が決定的要素。暴力とスポーツの線引きは合意という一直線だ。



合意は時には文書化される。言葉で確認される。しかし、どれだけ詳細に文書化しても、丁寧に言葉を交わして、基本的な人としての信頼関係がベースに無ければ合意を達成することはできない。

信頼は将来を託すことを可能にし、過去を後悔することもない。



宮川紗江と速見コーチの間には信頼関係に基づく合意が存在することは明らかで、これを暴力と判定することは不可能だ。(他人の常識に沿って暴力的に見えること自体はそれだけで暴力と判定する根拠にはなり得ない。)

塚原夫婦の宮川紗江及び速見コーチに対して行った行為は合意のない無理強い。本来は速見コーチの資格はく奪も含む。第三者の判断でなく、当事者の合意の有無が決定的。第三者委員会が立ち入るとしたら合意の証の検証になるが、その合意の証の前提である信頼関係の有無にも立ち入る必要が出てくる。

しかし、

塚原夫婦は何ら信頼関係を構築できていないことは既に明らかだから、結局パワハラであることは明らか。その認定がされない場合は、第三者委員会で無いこと、塚原夫婦の代弁者委員会となる。委員会メンバー5人の中の二人が既に朝日生命の関係者だったことが明らか。退任しても過去は消せない。そういう姑息なことを続けること自体が第三者委員会の第三者性を失格している証拠になる。居直る二人は恥知らず。

構造的に破たんしている第三者委員会では何も進まないだろう。体操協会は何処から何処まで朝日生命におんぶにだっこを続けているんだろう。恥ずかしくないのか。朝日生命も保険屋として恥知らず。こんな会社は絶対に信用できない。



境界線=合意+信頼関係

『引きこもり閉じこもりゴミ屋敷事件』

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引きこもり閉じこもりゴミ屋敷事件

  • 引きこもり
  • 閉じこもり
  • ゴミ屋敷

横須賀市のゴミ屋敷に強制代執行がとられた。近隣の苦情を受けて長年の指導を続けた結果の措置だ。このやり方は単に臭いものに蓋を下に過ぎない。

引きこもりが高齢化しているだけではない。

核家族社会全体の高齢化に伴い新たな引きこもり=高齢者の閉じこもりが生まれている。

引きこもりの場合は可能性としてそばに親がいるからゴミ問題は与えられた部屋に限定される可能性が高い。近所迷惑のレベルに至るのは少ない。高齢化した親が手に負えなくなったり、死別したり、老人ホームに入るなどしたときに一気に表面化する。

閉じこもり老人は定年や、定年前のリストラや、セカンドライフ(定年後の生活)の行き詰まりなど、人生の大きな変化を経験した後に、社会性を喪失あるいは放棄することがある。もうこりごり症候群だ。結果、家に閉じこもりがちになる。



引きこもりのゴミ屋敷はしつけ(躾)の問題に見えるが、結果として社会性を喪失差sている点では両社は病気としては同じだろう。

この社会性喪失問題は、言い換えれば社会性維持問題は極めて基本的な行政の課題なのだ。 住民を孤立させない。孤立させると行政コストも高くつく。そのための取り組みがライフステージケアとの理解だ。

誰でも知ること。生まれてくるときは誰かがいて抱き上げてくれる。少なくとも母親はそこにいる。死ぬときは病院や自宅で家族に見守られて息を引き取ると思いきや、孤独な老人はゴミに埋もれて息を引き取るのが普通のことになった。

ゴミ屋敷事件は 表面化して近所迷惑になった事件だが、実際はもっと恐ろしい孤立して放置された老人たちの届かない叫び声が街中にこだましている恐怖映画のような世界だ。



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なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

2018年8月28日、横須賀市で所謂「ゴミ屋敷」に対する強制代執行があるようで、テレビカメラが入っていた。横須賀市が事前に公表していた。


以前にも名古屋のごみ屋敷がテレビの取材対象になっていた。当事者はカメラの前で話もしていた。

家の中であふれたゴミが表に出てきて近隣に迷惑をかけるようになると初めて世間の知ることになり、問題化してくる。

と言うことは、家の中では、ずっと前からごみ問題が発生したということだ。

家の中の一角がごみのコーナーになる。ちょっとした隙間がスペースがゴミに占有されるようになる。やがて、ゴミの部屋、ゴミのフロアが問題になり、やがて住民を追い出してしまう。家中にゴミが溢れ、 それらは徐々に庭や軒下や敷地内に顔を見せるようになる。近所に言い訳が通用しないほど実態がさらけ出される時期だ。これを超えるとゴミは敷地境界を越えて共有地に進出する。極端な場合は隣家の敷地内にも出てくる。

ゴミが外に顔を出さなくても臭いが出てくることもある。隣人の被害はより深刻なものになる。臭いに加えて、鳥(カラス・鳩)のフンや虫(ハエ・蚊)の発生で衛生環境も悪化する。

隣人問題の観点に立てば、ゴミ問題以外にも、騒音、落書き、覗き見、盗聴、挨拶等の無視、意図的な悪評、多数の若者や外国人の出入、樹木類の枝・葉・根の侵出、危険な境界ブロック、反社会勢力の居住・出入など。無理にでも思いつけばいくらでも出てきそうだ。



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https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/3010/kouhyo.html

平成30年(2018年)8月10日公表
住所及び氏名    
横須賀市船越町3丁目27番地
江澤 美樹(えざわ よしき)
建築物等の所在地     横須賀市船越町3丁目27番地
不良な生活環境の内容     物の堆積等に起因する害虫、ねずみ、悪臭の発生、火災の発生のおそれにより、当該建築物及びその近隣における生活環境が損なわれている。
命令の内容     屋外、ベランダ、共有地に堆積している堆積物を撤去すること。

お問い合わせ
福祉部福祉総務課
横須賀市小川町11番地 分館2階<郵便物:「〒238-8550 福祉総務課」で届きます>
電話番号:046-822-8269
ファクス:046-822-2411




なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

ゴミとは何か?

先ず、ゴミとは何か?から始めることにする。
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いつも不思議なことは問題の住民は必ずしもビニル袋に入れたものをごみと思っていないこと。仕分けの形であってゴミではないこと。もしくは仕分け前のものがビニル袋に入っている。 ここがゴミ問題点の出発点かも知れない。

庭仕事で何が雑草かは花の美しさで決まるのではない。管理者の意図で決まるのだ。赤の他人やテレビ局のレポータがビニル袋を見てゴミと言い捨てているがひどい話だ。スーパーから帰ってくる買い物客が抱えているのは全部ゴミか。何れゴミになるがその時は意図した何かであるのは明確。ポピーもヤマユリもお気に入りで育てていれば普通の草花。道端に勝手に生えれば雑草。

他人の物を勝手にゴミと決めつけることが間違いを拡大させる大きな要因。 問題を拗らせたり膠着化させてしまう。周囲は一言もゴミと言ってはいけない。ゴミという奴も社会から見ればゴミと大して変わらないのだから。他人の所有物とゴミと決めつけた瞬間、自分自身もゴミになっている。と認識しなければいけない。

しいて言うなら迷惑物。ゴミは所有者の判断事項だが、迷惑物は迷惑を受けている側が判断できることだから理屈は通る。ゴミ屋敷はとんでもない表現で迷惑(物)屋敷というべきだろう。

庭の雑草は庭の所有者が雑草と識別して初めて雑草になれる。雑草と識別されたら、きれいな花を咲かせていても、ちょん切られるか引っこ抜かれる。

ゴミも所有者がゴミと識別して初めてゴミになれる。ゴミと識別されたら、他人がまだ使えるのにとか思ったところでゴミになる。逆に、ゴミと識別されるまでは、必要物または未識別物ということだ。

整理すると:

(1)ゴミと識別され、ゴミ置き場(ゴミ収集場所)に置かれたゴミ。この場合も他人が勝手に内容を確認したり持ち去ってはいけない。(横須賀のゴミ男は他人のゴミを盗んでいるからこの段階で逮捕すればいいのにこれを放置する神奈川県警にも問題がある。問題を大きくして自分たちの仕事を楽にしたいのだろうか。)
|⇒|市区から許可された人が許可されたゴミ収集場所から指定の場所に運ぶ。滞留することは無い。恐らく税金を滞納していてもゴミは運んでくれるだろう。

(2)ゴミと識別され、識別用の容器(ゴミ箱、ゴミ袋)に収容され、あるいはゴミ出しエリア(玄関の近くとか、キッチンの近くとか、家々で決める。決めないこともある)に置かれたもの。
|⇒|定期的に決められた曜日の決められた時間帯に自分で運ぶ。誰かのヘルプを受けることは可能。近所付き合いに問題を抱えると、この運ぶだけの作業が滞ることがある。

 (3)ゴミと明確に識別されていないもの。家族からはガラクタと呼ばれたり、単にゴミとされたりする。持ち主には宝の山に見えていることもある。これらも、適当な空き箱(アマゾンの宅配段ボール箱とか)、スーパーのレジ袋とか収まっている。あるいはやはり部屋の一角や隙間に収められていたりする。古いものもあれば新しいものもある。
|⇒|この仕訳の作業はその人の持つ考え方(人生観や価値観など)、心理的な状況(健康状態や経済的余裕など)、あるいは社会的責任(職業や地域の役割など)の自覚から大きく影響を受ける。
|⇒|ゴミとゴミでないものを仕分けするには明確な考え方が必要だが、、陥りやすいのは、「判断の先送り」と「いつか役に立つ」と「買ったときは高かった」と「思い出のもの」という呪文だ。呪縛。所謂ゴミ屋敷の主が抜け出せなくったのはこの呪縛。We will go back here soon. 

(4)ゴミではないと識別されたもの。必要なものと識別されたもの。これにも幾つか側面を見ておきたい。まず、場所を与えられていないもの。必要なものだけど場所が決まっていない。スペースが不足しているともいえるが、優先度が低いということは理解できる。これらは特定の季節、特定の関心事に於いて有用でもいつかどこかに積み上げられる。忘れられたり、飽きられたりして、やがてゴミの候補になる。家族構成が変わったり、仕事が変わったりすると、一気にその量は増える。

(5)必要と判断され、所定のスペースに収められたもの。これも今まで見てきたことで分かるように安泰ではない。書棚やクローゼット、家具や立派な収納スペースを眺めればすぐに理解できる。風化したと言ってもいいようなもの、何年も触ってすらいないものが並んでいる。世間で断捨離が流行っていることの理由の一つだ。

ゴミのライフサイクルともいうべき5段階を眺めていると気づくことがある。ある日突然我に返る。家中がゴミだらけと気付く。恐ろしいね。 断捨離が他人事ではなくなる日だ。もっと積極的に、自分の生きざまを変えたいと思うときにも、それは価値観の軸を変えることにつながるからだろうが、断捨離が有効だ。



なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

ゴミは誰が生み出すか?

人が生きていく中で色々な変化に遭遇する。望んだ変化もあれば望まない変化もある。人生や生活の変化がゴミを生み出す。ゴミでなかったものがゴミになる。仕分けのついたはずのものまでゴミになるのに、仕分け未了がゴミになるのは簡単なことだ。

人は自分自身がゴミ吐き出し装置としてフル回転しない限りゴミに囲まれてしまう。ホラーだね。生活の変化と言うような生易しいものではない。人生の変化がゴミを作る。誰でも、ゴミ屋敷の主になる可能性があるということ。その決定的なスペックは「一人暮らし」。ハウスキーパーでなかった男性の老人の一人暮らし。女性が少ないのはハウスキーパーの経験があるからだ。ゴミ吐き出し装置の性能が優れているということだ。しかしいずれは衰える。

これは改めて社会問題なのだが、社会問題の意味を理解しないといけない。

人は、誕生、就学、就職、結婚、出産、定年、別離、死別、などなど年齢と環境の変化は、住処も含めて持ち物に変化を余儀なくさせる。価値のあったものが簡単にゴミになる。

人生のステージが変われば、いつか役に立つはずのものがそのままゴミ化していく。

人生のステージの変化に身体も頭もついていけない。時にはついていきたくない。

ゴミではなかったものがゴミになっていくのだ。人生のイベント、ステージの変化、予見できたものも予見できなかったものも、望んだものも望まなかったものも、次々と押し寄せてくる。

耐えきれなくなった人がギブアップする。ゴミとの戦いを止めてしまう。リストラに合うとか、家族から孤立するとか、定年になるとか、病気や怪我に襲われるとか、きっかけは何でもいい。何とか維持してきた日常性が破壊されたときに白旗を上げる。

ここに助けが入らないのだ。白旗を見ない隣人と家族・親戚、行政。

住民のライフサイクルをゴミ問題との関連で分析すれば、行政の欠陥に気づくのはたやすい。行政を正して真の市民サービスを実現することで、ゴミの資源化、資源の適正配置も可能になる。



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なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

ゴミ問題の責任?

ゴミ問題は住民(国民?)がまじめに生きてきても避けられない問題なのだ。誰か特別な人の問題ではない。全市民gあ共通に抱えている問題。

毎週決まったものを決まった場所に出せば回収しますでは追い付かないゴミ問題の存在を理解しないで放置しているのは誰か。行政そのものでしょう。そのトップはもう後3年やりたいと言い始めた安倍晋三だけど、恐らく何も考えていない。

自分の街の知事や市長は直接の責任者だけど、恐らく何も考えていない。考えているのは行政コストの節減と税収の確保。ゴミ屋敷は出来の悪い馬鹿者の仕業に過ぎずまさか自分に責任があるとは露にも考えない。

住民のライフケア、文字通りライフサイクルサポートが行政の必須命題なのに 、全く不十分な認識にとどまる。

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本日、横須賀市長が御触れを出した行政代執行を実施した。行政の無能の象徴と言うべき出来事だ。長年に渡って迷惑を受けた住民を放置しておいて結局やったことは溢れ出たゴミのお片付けだけだ。

何の一つの問題も解決していない。

問題提起はずっと前からされていたのに放置するしか能がなかった横須賀市。全国の殆どは横須賀市と似たようなものだろうが、先陣を切って恥をかくほど愚かではなかったのかな。



なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

ライフステージケアプログラムの導入!

行政に必要なのは、一人の人が生まれたらその人が死ぬまで世話をするという基本的ン的な使命を律義に果たすことだ。仮にライフステージケアプログラム(Life Stage Care Program: LSCPまたはLCP)としておこう。カタカナを嫌うなら生涯補償制度でもいいだろう。ゴミ問題(正しくは、住居、クルマ、家具、生活用品などのレイアウト、譲渡、交換、始末など)はLCPの私費部となる。

老人なら民生員が手当てされる。不自由になったら介護士が付くこともある。現制度はある日突然特定目的のために起動される。いかに中途半端で、手遅れで、満足度が低いものかは誰もが理解しているだろう。

今必要なのは、生まれる前の母子手帳発行から亡くなった後の遺言実行・遺産の始末まで連続してケアする制度。

誰か一人の人が担当になることは出来ない。ライフは100年もあるのだから。ライフステージケアを担当するAIスタッフ(仮想スタッフ)を用意する。仮想スタッフはタイミングタイミングで市役所の機能別スタッフ(各係)に指示をしてミッションを遂行する。法律や制度の変更も踏まえた的確なものになる。

仮想スタッフの分身が、アプリの形で本人に提供される。人型ロボットの形で家の中に置かれる。行政サービスを利用するときの良き相談相手にもなれるはずだ。

*

現在でも市役所には住民データが溢れている。相互運用性の低い、個別問題特化型の、従って歯抜けのデータ。病院のカルテにも似ている。病気や怪我と診断した内容、病院へ来た時だけの内容が並ぶ。すべての健康データが網羅されることは無い。バラバラの縦割り行政の形がそのまま個人の情報の形として市役所の中にある。

先ずライフステージの概念を導入する。

ステージに現在のサービスを投影する。重複する部分と欠落する部分を明らかにして、適正な配置を行う。ステージによってサービスがドライブする形を作る。スキームができたら、事例をAIに読み込ませて、仮想スタッフ(AIスタッフ)を導入する。トライアルから本運用までには数年はかかるだろう。

国に任せてはいけない。時間と金を散々使って現場のニーズにミートしないまがい物になるのは必至。市同士が協力しながら進めるのは現実的だろう。

今までの10倍の数のサービス事業体が出現するのは避けられない。民間との協調もより必要になる。行政サービスの線引きの難しさの議論も必要になる。それでも、必要なことだし、総コストは低減するはずだ。

『新潟・小2女児誘拐・絞殺轢殺事件』

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『新潟・小2女児誘拐・絞殺轢殺事件』
  • 新潟県警
  • 初動捜査
  • 被害者:大桃珠生さん(7)
  • JR越後線
  • 小針駅 ~青山駅
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  1. むごい事件だ。人間に対する尊厳が全く感じられない。被害者は2度も殺害されたようなもの。一度目は仮に出来心としても2度目は完全な計画的な殺人。時効なし。死刑相当だろう。


最初のニュースは女児が列車に弾かれて死亡というものだった。
次のニュースは運転士の証言が女児は線路に横たわっていたというもの。
次が死因は窒息死。ここで漸く殺人事件の扱いになる。

事件は5月7日の午後3時から4時の間に発生していた。誘拐までか既に誘拐殺人になっていたかは不明。

安否を心配した母親の通報は午後5時ごろ。ここで事件は発覚する。しかし、その事件は、誘拐事件か、交通事故か、友達の家に上がり込んでいるか、明確なものではない。警察・学校関係は100人体制で捜索とあるから、通学路中心に、家探し、目撃者捜し、物陰など徹底して調べただろう。というのは範囲はかなり限定されているからだ。

暗くなって、時間的には夜8時くらいには、大勢の人によるその日の捜索は終了しただろう。

その日の成果がないことを踏まえて、夜9時過ぎに大桃宅を訪問していた校長も夜10時になって帰宅している。即ち、10時過ぎには誰も捜索者の姿はなく、表面的には日常の静寂に戻っている。JRの時々の運転を除いて。

その頃は家族を除いて誰も残虐な殺人事件を疑っていなかった。

犯人は、10時過ぎに、既に遺体となっている女児を運び出した。彼(彼女)には、自分で自由に利用できる車はなかったのだろう。近場で遺体を処分するアイデアは列車に弾かせるというものだった。目論見は列車事故による死亡、事故死に見せるというものだ。何処かで遊んでいて、よる線路内に迷い込んでの事故なら、犯人は逃げられると。首を絞めた証拠も消せる。

JR越後線の終電は23時頃。彼(彼女)が遺体を線路に乗せることができる時間は、捜索が完全に終わってから、夜11時まで。犯人は捜索終了をじりじりしながら待っていたに違いない。遺体を運ぶ途中、大きな荷物を持つ自分の顔を見られる訳にはいかない。 それは電車の中からでも見られたくない。

大きなバッグに遺体を入れて運ぶ。女児が脱いだ靴とランドセルも一緒に。線路に侵入して先ずは茂みに隠れる。最初の(夜10時20分の)電車をやり過ごす。遺体を線路に乗せる。女児の持ち物も置く。反対側から線路を出たか運んだ側から出たか。反対側は時間が掛かるので戻ったと考える。

犯人は自分の部屋に戻る。テレビをつける。

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顔見知りが帰宅途中の女児に声をかけて部屋に入れる。待ち伏せしていた可能性もあるが、たまたま顔を合わせた可能性もある。ただの出来心かもしれない。


いたずら。言いつけるといわれて逆上。絞殺に及ぶ。

犯人は18歳以上。老人の可能性も否定できない。

午後5時からの捜索隊に加わっていた可能性もある。その方が自分の家を調べられる心配がないからだ。捜索がいつ終わるかも分かる。



新潟県警は思い込み捜査はやっていないだろうか。

以前からの不審者情報の影響も受けている。

でも、

普通に考えれば、犯人は通学路沿いの住民の一人。不審者とされる人も近所の住人ではないか。一人一人聞き込みをやれば直ぐに分かる事案に見えてしまう。

よそ者が誘拐して、またわざわざ現場に戻って遺体を置いていくことはあり得ない。

通学路沿いの50軒にも満たない家の聞き取りで分かること。



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https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3021900008052018000000/

線路の遺体は小2女児 殺人と断定、新潟県警

2018/5/8 20:47

 新潟市西区のJR越後線の線路で女児の遺体が見つかった事件で、新潟県警は8日、女児の身元を同市西区小針上山8、市立小針小2年、大桃珠生さん(7)と明らかにした。女児は列車にひかれていたが、司法解剖の結果、死因は窒息と判明。県警は、ひかれる前に首を絞められた疑いがあるとみて殺人、死体遺棄事件として新潟西署に捜査本部を設置した。


小2女児の遺体が見つかった現場周辺。上はJR越後線(8日午後、新潟市西区)=共同

 女児は7日午後の下校中に行方が分からなくなっていた。

 捜査本部などによると、女児は7日午後10時半ごろ、新発田発内野行き上り普通列車にひかれ、死亡しているのが見つかった。列車の運転士は「人が線路に横たわっているのが見えてブレーキをかけた」と説明した。現場は単線で、約10分前に下り列車が通った際は、異変はなかったという。

 捜査本部は、女児が別の場所で殺害された後、下り列車が通過して上り列車がさしかかるまでの約10分間に現場に遺棄されたとみて、現場周辺の防犯カメラの記録を解析するなどして女児の足取りや不審人物を調べている。

 女児は7日午後3時ごろ、小学校から下校し、自宅近くの踏切付近で友達と別れた。遺体が見つかった現場はこの踏切から約200メートル離れており、自宅とは直線で百数十メートルだった。母親が同5時ごろ、新潟西署に「娘が帰ってこない」と連絡した。県警は自宅周辺を重点的に捜索したが、見つけられなかった。

 捜査関係者によると、女児の顔にはうっ血があった。遺体から離れた線路上には、ランドセルやスニーカーなどが落ちていた。服装は登校時と同じだった。

 女児が通っていた小針小学校の長谷川豊校長は記者会見し「大切なお子さんだった。強い憤りを感じている」と述べた。〔共同〕




『TOKIO強制わいせつ解散事件』

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TOKIO強制わいせつ解散事件
  • TOKIO
  • 強制わいせつ
  • セクハラ
  • 解散
  • 山口達也
  • NHK/Eテレ「Rの法則」
  • アルコール依存症 


何が事件だったかはネット上に色々な情報がある。真実は何かは当事者に聞くしかない。当事者にしても曖昧なものだろう。もしくは正しくすべてが語られるかどうかも分からない。

アルコール依存症の山口がかかりつけの病院を退院して自宅で一人で飲酒。一人では詰まらない/寂しいからか、職場(NHK/Eテレ「Rの法則」)で交流のできた女子高生を電話で誘う。女子高生は友人と二人で山口宅を訪問。飲食の末に強制わいせつ事件が発生したらしい。女子高生はトイレに逃げ込み母親に緊急の電話をしたらしい。母親がどのように救出したか、その時の山口の対応がどのようなものか、詳細は友人の女子高生を含めて何も語られていない。山口自身は朝起きて誰もいないのを確認しただけと語っているが真実は不明。

被害者とされる女子高生側がいつ被害届を出したかは知らないが、事件当日麻布署に直行したような記事もある。これは記録があるので調べれば分かる。

警察は事実の確認のために何回か山口に接触している。任意の取り調べということだろう。受け答えの内容は伝えられていない。受け答えに十分な記憶が山口にあったかどうかも分からない。

少なくとも、女子高生側の主張に沿った取り調べの中で、山口の空白の記憶の中に 女子高生側の主張が刷り込まれていた可能性も否定できない。山口は、自身のアルコール依存症の負い目の中で、有名人としての軽率なふるまいの中で、自分を守る主張は十分できなかった可能性も高い。

被害届における加害者も被害者もNHKの番組の中の人、進行役とオーディションで選ばれたであろう一般参加の女子高生では、NHKが後手を踏むわけにもいかず一気に明るみに出た。その後は誰もが知る流れだ。



 +

多くの疑問:

二人いた女子高生のもう一人の存在が見えない。何をしていたんだろう。被害者がトイレに逃げ込むとか携帯で電話しているとか、その前にわいせつ行為に及んでいるときに、相方は黙ってみていたのか。それほど問題と思っていなかったのか。

女子高生が出かけた時間は推定すれば夕方から夜にかけてとなる。信頼している人から誘われたから出かけた。母親も同じ認識。もう一人の女子高生を誘った理由は?。一種の保険?。それとも、夜でも外出するのは平気な感覚の女子高生か。

酔っぱらいを前にして二人は何をしていたのか?。

電話するだけで訪問できるくらい、住居を知っていたのか?。女子高生も母親も何回か来ていたのか?。

本当に警察に行くほどのことだったのか?。

退院してその日に酩酊するまで酒を飲むのか?。断酒後の酒は良い安いのは誰でも分かっている。

酩酊の原因が女子高生側になかったのか?。 面白がって酒を飲ませたのではないか?。

既に山口が酩酊状態なら電話でも分かるし、訪問した段階でも分かるだろう。それでも入り込んだ女子高生にはどういう意図があったのか?。あるいは落ち度ではないのか?。

なぜ被害届を取り下げなかったのか?。悪意を感じる。

個人の問題であってグループの問題でないとするのは疑問。 公私に渡って一体ではないのか?。

酒の問題を気付かなかったメンバー失格。気づいていて何もしていないならメンバー失格。他の4人は被害者みたいにふるまったら大間違いだろう。彼らの無反省な会見は理解できない。4人のメンバーの責任意識はどんなものか?。

事務所のマネジャーもついているんだろう。退院日は要観察、要注意は当然。彼はないをしていたのか?。何もしていなかったのか?。

事務所はアルコール問題を把握していなかったのか?。メンバーと同じ無責任性が見えてくる。

TOKIOの創成メンバーを外してTOKIOを継続させるのは疑問。残る4人はTOKIOを名乗ることを恥じないのか?。山口が永久謹慎ならTOKIOも永久欠番だろう。

4人の会見は己の保身の会見にしか見えなかった。彼らがもっとも山口を切りたがっていたのではないか?。何かと問題の多い、煩い存在の山口を外す良いチャンスととらえたのではなかったか?。

「Rの法則」のビデオを観て女子高生を特定しようとする人がいるようだが、彼らは女子高生を英雄に仕立てようとしているのか?。魔女探しのつもりなのか?。

「Rの法則」「女子高生」「山口達也」




http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2018050702000021.html

TOKIO山口達也、契約解除 辞表受理「本人の強い意志」

2018年5月7日 紙面から

涙を流しながら記者会見する山口達也=4月26日
写真

 ジャニーズ事務所は6日、女子高生への強制わいせつ容疑で書類送検(後に起訴猶予処分)されたTOKIOの山口達也(46)の辞表を受理し、山口との契約を解除したと発表した。山口が先月30日にメンバーに提出した辞表が6日に同事務所社長に渡され、山口も直接、社長に辞意を表明したという。一方で同事務所は山口の更生のために今後も支援は続けるとしている。

 山口は無期限謹慎中だったが、4月30日、TOKIOのメンバーと面会し、「責任を取って事務所を退所したい」と辞表を提出。リーダーの城島茂(47)が預かり、結論を保留していた。

 この日、メンバーの総意として城島がジャニー喜多川社長(86)に山口の辞表を提出。入院中の山口も社長に電話で直接辞意を伝えたという。

 ジャニーズ事務所は6日に報道各社に送付したファクスで「本日、本人からも直接、弊社に対し強い意志表明がございました。それを踏まえ本日、弊社社長とTOKIOリーダー城島茂との協議が行われ、この申し出を受理する判断に至りました」と契約解除を報告した。

 契約解除の理由については、山口が今後も被害者に謝罪を重ねなければいけないこと、そして事件の要因となった問題を克服し、社会復帰するためには本人の強い意志が不可欠なことを挙げ「無期限謹慎という曖昧な形ではなく、本人の強い意思でもある辞意を受け入れ、山口が1人の人間として自分と向き合う形をとらせるべきだと決断いたしました」と説明した。

 一方で、「彼を長年育んできた立場として、彼が健やかな1人の人間としての精神と振る舞いを取り戻し、被害者の許しを十分に得た上で、未来を描けるまでを具体的に支援することが弊社の責任」とし、アルコール問題と、それに起因する生活と精神の乱れを根本的に治療するため再入院している山口のサポートを今後も継続する考えを示した。

 事件の発覚を受けて山口は4月26日に謝罪会見を開いたが、「またTOKIOに戻りたい」と発言。社会の批判を招き、メンバーの国分太一(43)や城島が自身の番組で「そんな甘えた言葉は聞きたくなかった」「ありえない」と厳しく糾弾。しかし、今月2日のメンバー4人の謝罪会見では「そうか辞めてくれと言えない私たちがいた」(城島)、「辞表を受理したとしても、僕は山口を見捨てることができません」(国分)と長年苦楽を共にしてきた仲間としての「情」も率直に打ち明けていた。

 1994年9月にデビューし、1人も欠けることなくオリジナルメンバーで活動してきたTOKIO。山口が無期限謹慎になってからは、4人で与えられた仕事を続けていくと表明していたが、これで正式に4人組になってしまった。

 メンバー4人は連名で「誰のために何をすべきか、それだけを考え続けた日々でした」「今一度TOKIOとして原点に戻り、それぞれが己と向き合い、誰のために、いったい何をするべきなのかしっかりと考え、前を向いていきたいと思います」などとするコメントを発表した。

 またジャニーズ事務所はファクスで「彼らは『4人のTOKIOが必要とされるのか』という命題を背負い、いばらの道を歩むことになります」とTOKIOが置かれた状況を記し、理解と支援を求めた。
◆4人連名でコメント

<TOKIOの城島茂、国分太一、松岡昌宏、長瀬智也が連名で寄せたコメント>

 誰のために何をすべきか、それだけを考え続けた日々でした。

 僕らメンバー、一人一人の今の気持ちを表現するには言葉だけでは足りませんし、何より、これ以上言葉で語るべきものではないと思います。

 自分たちに変えられるものがあるとすれば、それは明日であり、目の前にあることからです。

 今一度TOKIOとして原点に戻り、それぞれが己と向き合い、誰のために、いったい何をするべきなのかをしっかりと考え、前を向いていきたいと思います
◆記者の目 失われた“絆”…4人を待つ厳しい道

 山口が辞表を出したのが4月30日。結論を出すまでの1週間はTOKIOにとって、どれほどつらい時間だったことか。すぐに受理しなかったこと、事務所が彼らに判断を任せたことに少なからぬ批判が起きた。キャスターをしているメンバーは悲痛な表情をテレビでさらし続けた。

 今月4日に「そっとしてほしい」と被害者家族のコメントが再度出されたことで報道は下火になり、推移を見守るという選択もあっただろうが、4人は想像以上に事の重大さを理解していた。

 山口を切っても守ってもTOKIOには厳しい道が待っている。バンドの要のベースを失ったことで音楽活動は不可能になったが、最大の財産である「絆」が失われてしまったのは深刻だ。いつも仲が良さそうな5人だから、TOKIOの番組は「アイドル番組」の枠を超えて国民的番組になった。4人が頑張っても、もう視聴者は屈託なく笑って彼らを見られない。良いことも悪いことも背負うのがグループの宿命とはいえ、4人が失ったものは計り知れない。 (宮崎美紀子)

<山口達也(やまぐち・たつや)> 1972(昭和47)年1月10日生まれ、埼玉県出身。5人グループ「TOKIO」のベース担当。94年9月にシングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。以降、音楽、バラエティー、ドラマなど多方面で活躍。97年には日本テレビ系「24時間テレビ」で100キロのチャリティーマラソンを完走。私生活では2008年に元モデルの女性と結婚し2男をもうけたが、16年8月に離婚。


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