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『引きこもり閉じこもりゴミ屋敷事件』

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引きこもり閉じこもりゴミ屋敷事件

  • 引きこもり
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横須賀市のゴミ屋敷に強制代執行がとられた。近隣の苦情を受けて長年の指導を続けた結果の措置だ。このやり方は単に臭いものに蓋を下に過ぎない。

引きこもりが高齢化しているだけではない。

核家族社会全体の高齢化に伴い新たな引きこもり=高齢者の閉じこもりが生まれている。

引きこもりの場合は可能性としてそばに親がいるからゴミ問題は与えられた部屋に限定される可能性が高い。近所迷惑のレベルに至るのは少ない。高齢化した親が手に負えなくなったり、死別したり、老人ホームに入るなどしたときに一気に表面化する。

閉じこもり老人は定年や、定年前のリストラや、セカンドライフ(定年後の生活)の行き詰まりなど、人生の大きな変化を経験した後に、社会性を喪失あるいは放棄することがある。もうこりごり症候群だ。結果、家に閉じこもりがちになる。



引きこもりのゴミ屋敷はしつけ(躾)の問題に見えるが、結果として社会性を喪失差sている点では両社は病気としては同じだろう。

この社会性喪失問題は、言い換えれば社会性維持問題は極めて基本的な行政の課題なのだ。 住民を孤立させない。孤立させると行政コストも高くつく。そのための取り組みがライフステージケアとの理解だ。

誰でも知ること。生まれてくるときは誰かがいて抱き上げてくれる。少なくとも母親はそこにいる。死ぬときは病院や自宅で家族に見守られて息を引き取ると思いきや、孤独な老人はゴミに埋もれて息を引き取るのが普通のことになった。

ゴミ屋敷事件は 表面化して近所迷惑になった事件だが、実際はもっと恐ろしい孤立して放置された老人たちの届かない叫び声が街中にこだましている恐怖映画のような世界だ。



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なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

2018年8月28日、横須賀市で所謂「ゴミ屋敷」に対する強制代執行があるようで、テレビカメラが入っていた。横須賀市が事前に公表していた。


以前にも名古屋のごみ屋敷がテレビの取材対象になっていた。当事者はカメラの前で話もしていた。

家の中であふれたゴミが表に出てきて近隣に迷惑をかけるようになると初めて世間の知ることになり、問題化してくる。

と言うことは、家の中では、ずっと前からごみ問題が発生したということだ。

家の中の一角がごみのコーナーになる。ちょっとした隙間がスペースがゴミに占有されるようになる。やがて、ゴミの部屋、ゴミのフロアが問題になり、やがて住民を追い出してしまう。家中にゴミが溢れ、 それらは徐々に庭や軒下や敷地内に顔を見せるようになる。近所に言い訳が通用しないほど実態がさらけ出される時期だ。これを超えるとゴミは敷地境界を越えて共有地に進出する。極端な場合は隣家の敷地内にも出てくる。

ゴミが外に顔を出さなくても臭いが出てくることもある。隣人の被害はより深刻なものになる。臭いに加えて、鳥(カラス・鳩)のフンや虫(ハエ・蚊)の発生で衛生環境も悪化する。

隣人問題の観点に立てば、ゴミ問題以外にも、騒音、落書き、覗き見、盗聴、挨拶等の無視、意図的な悪評、多数の若者や外国人の出入、樹木類の枝・葉・根の侵出、危険な境界ブロック、反社会勢力の居住・出入など。無理にでも思いつけばいくらでも出てきそうだ。



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https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/3010/kouhyo.html

平成30年(2018年)8月10日公表
住所及び氏名    
横須賀市船越町3丁目27番地
江澤 美樹(えざわ よしき)
建築物等の所在地     横須賀市船越町3丁目27番地
不良な生活環境の内容     物の堆積等に起因する害虫、ねずみ、悪臭の発生、火災の発生のおそれにより、当該建築物及びその近隣における生活環境が損なわれている。
命令の内容     屋外、ベランダ、共有地に堆積している堆積物を撤去すること。

お問い合わせ
福祉部福祉総務課
横須賀市小川町11番地 分館2階<郵便物:「〒238-8550 福祉総務課」で届きます>
電話番号:046-822-8269
ファクス:046-822-2411




なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

ゴミとは何か?

先ず、ゴミとは何か?から始めることにする。
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いつも不思議なことは問題の住民は必ずしもビニル袋に入れたものをごみと思っていないこと。仕分けの形であってゴミではないこと。もしくは仕分け前のものがビニル袋に入っている。 ここがゴミ問題点の出発点かも知れない。

庭仕事で何が雑草かは花の美しさで決まるのではない。管理者の意図で決まるのだ。赤の他人やテレビ局のレポータがビニル袋を見てゴミと言い捨てているがひどい話だ。スーパーから帰ってくる買い物客が抱えているのは全部ゴミか。何れゴミになるがその時は意図した何かであるのは明確。ポピーもヤマユリもお気に入りで育てていれば普通の草花。道端に勝手に生えれば雑草。

他人の物を勝手にゴミと決めつけることが間違いを拡大させる大きな要因。 問題を拗らせたり膠着化させてしまう。周囲は一言もゴミと言ってはいけない。ゴミという奴も社会から見ればゴミと大して変わらないのだから。他人の所有物とゴミと決めつけた瞬間、自分自身もゴミになっている。と認識しなければいけない。

しいて言うなら迷惑物。ゴミは所有者の判断事項だが、迷惑物は迷惑を受けている側が判断できることだから理屈は通る。ゴミ屋敷はとんでもない表現で迷惑(物)屋敷というべきだろう。

庭の雑草は庭の所有者が雑草と識別して初めて雑草になれる。雑草と識別されたら、きれいな花を咲かせていても、ちょん切られるか引っこ抜かれる。

ゴミも所有者がゴミと識別して初めてゴミになれる。ゴミと識別されたら、他人がまだ使えるのにとか思ったところでゴミになる。逆に、ゴミと識別されるまでは、必要物または未識別物ということだ。

整理すると:

(1)ゴミと識別され、ゴミ置き場(ゴミ収集場所)に置かれたゴミ。この場合も他人が勝手に内容を確認したり持ち去ってはいけない。(横須賀のゴミ男は他人のゴミを盗んでいるからこの段階で逮捕すればいいのにこれを放置する神奈川県警にも問題がある。問題を大きくして自分たちの仕事を楽にしたいのだろうか。)
|⇒|市区から許可された人が許可されたゴミ収集場所から指定の場所に運ぶ。滞留することは無い。恐らく税金を滞納していてもゴミは運んでくれるだろう。

(2)ゴミと識別され、識別用の容器(ゴミ箱、ゴミ袋)に収容され、あるいはゴミ出しエリア(玄関の近くとか、キッチンの近くとか、家々で決める。決めないこともある)に置かれたもの。
|⇒|定期的に決められた曜日の決められた時間帯に自分で運ぶ。誰かのヘルプを受けることは可能。近所付き合いに問題を抱えると、この運ぶだけの作業が滞ることがある。

 (3)ゴミと明確に識別されていないもの。家族からはガラクタと呼ばれたり、単にゴミとされたりする。持ち主には宝の山に見えていることもある。これらも、適当な空き箱(アマゾンの宅配段ボール箱とか)、スーパーのレジ袋とか収まっている。あるいはやはり部屋の一角や隙間に収められていたりする。古いものもあれば新しいものもある。
|⇒|この仕訳の作業はその人の持つ考え方(人生観や価値観など)、心理的な状況(健康状態や経済的余裕など)、あるいは社会的責任(職業や地域の役割など)の自覚から大きく影響を受ける。
|⇒|ゴミとゴミでないものを仕分けするには明確な考え方が必要だが、、陥りやすいのは、「判断の先送り」と「いつか役に立つ」と「買ったときは高かった」と「思い出のもの」という呪文だ。呪縛。所謂ゴミ屋敷の主が抜け出せなくったのはこの呪縛。We will go back here soon. 

(4)ゴミではないと識別されたもの。必要なものと識別されたもの。これにも幾つか側面を見ておきたい。まず、場所を与えられていないもの。必要なものだけど場所が決まっていない。スペースが不足しているともいえるが、優先度が低いということは理解できる。これらは特定の季節、特定の関心事に於いて有用でもいつかどこかに積み上げられる。忘れられたり、飽きられたりして、やがてゴミの候補になる。家族構成が変わったり、仕事が変わったりすると、一気にその量は増える。

(5)必要と判断され、所定のスペースに収められたもの。これも今まで見てきたことで分かるように安泰ではない。書棚やクローゼット、家具や立派な収納スペースを眺めればすぐに理解できる。風化したと言ってもいいようなもの、何年も触ってすらいないものが並んでいる。世間で断捨離が流行っていることの理由の一つだ。

ゴミのライフサイクルともいうべき5段階を眺めていると気づくことがある。ある日突然我に返る。家中がゴミだらけと気付く。恐ろしいね。 断捨離が他人事ではなくなる日だ。もっと積極的に、自分の生きざまを変えたいと思うときにも、それは価値観の軸を変えることにつながるからだろうが、断捨離が有効だ。



なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

ゴミは誰が生み出すか?

人が生きていく中で色々な変化に遭遇する。望んだ変化もあれば望まない変化もある。人生や生活の変化がゴミを生み出す。ゴミでなかったものがゴミになる。仕分けのついたはずのものまでゴミになるのに、仕分け未了がゴミになるのは簡単なことだ。

人は自分自身がゴミ吐き出し装置としてフル回転しない限りゴミに囲まれてしまう。ホラーだね。生活の変化と言うような生易しいものではない。人生の変化がゴミを作る。誰でも、ゴミ屋敷の主になる可能性があるということ。その決定的なスペックは「一人暮らし」。ハウスキーパーでなかった男性の老人の一人暮らし。女性が少ないのはハウスキーパーの経験があるからだ。ゴミ吐き出し装置の性能が優れているということだ。しかしいずれは衰える。

これは改めて社会問題なのだが、社会問題の意味を理解しないといけない。

人は、誕生、就学、就職、結婚、出産、定年、別離、死別、などなど年齢と環境の変化は、住処も含めて持ち物に変化を余儀なくさせる。価値のあったものが簡単にゴミになる。

人生のステージが変われば、いつか役に立つはずのものがそのままゴミ化していく。

人生のステージの変化に身体も頭もついていけない。時にはついていきたくない。

ゴミではなかったものがゴミになっていくのだ。人生のイベント、ステージの変化、予見できたものも予見できなかったものも、望んだものも望まなかったものも、次々と押し寄せてくる。

耐えきれなくなった人がギブアップする。ゴミとの戦いを止めてしまう。リストラに合うとか、家族から孤立するとか、定年になるとか、病気や怪我に襲われるとか、きっかけは何でもいい。何とか維持してきた日常性が破壊されたときに白旗を上げる。

ここに助けが入らないのだ。白旗を見ない隣人と家族・親戚、行政。

住民のライフサイクルをゴミ問題との関連で分析すれば、行政の欠陥に気づくのはたやすい。行政を正して真の市民サービスを実現することで、ゴミの資源化、資源の適正配置も可能になる。



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なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

ゴミ問題の責任?

ゴミ問題は住民(国民?)がまじめに生きてきても避けられない問題なのだ。誰か特別な人の問題ではない。全市民gあ共通に抱えている問題。

毎週決まったものを決まった場所に出せば回収しますでは追い付かないゴミ問題の存在を理解しないで放置しているのは誰か。行政そのものでしょう。そのトップはもう後3年やりたいと言い始めた安倍晋三だけど、恐らく何も考えていない。

自分の街の知事や市長は直接の責任者だけど、恐らく何も考えていない。考えているのは行政コストの節減と税収の確保。ゴミ屋敷は出来の悪い馬鹿者の仕業に過ぎずまさか自分に責任があるとは露にも考えない。

住民のライフケア、文字通りライフサイクルサポートが行政の必須命題なのに 、全く不十分な認識にとどまる。

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本日、横須賀市長が御触れを出した行政代執行を実施した。行政の無能の象徴と言うべき出来事だ。長年に渡って迷惑を受けた住民を放置しておいて結局やったことは溢れ出たゴミのお片付けだけだ。

何の一つの問題も解決していない。

問題提起はずっと前からされていたのに放置するしか能がなかった横須賀市。全国の殆どは横須賀市と似たようなものだろうが、先陣を切って恥をかくほど愚かではなかったのかな。



なぜ「ゴミ屋敷」はできるのか?「ゴミ」の正体と問題の責任者!

ライフステージケアプログラムの導入!

行政に必要なのは、一人の人が生まれたらその人が死ぬまで世話をするという基本的ン的な使命を律義に果たすことだ。仮にライフステージケアプログラム(Life Stage Care Program: LSCPまたはLCP)としておこう。カタカナを嫌うなら生涯補償制度でもいいだろう。ゴミ問題(正しくは、住居、クルマ、家具、生活用品などのレイアウト、譲渡、交換、始末など)はLCPの私費部となる。

老人なら民生員が手当てされる。不自由になったら介護士が付くこともある。現制度はある日突然特定目的のために起動される。いかに中途半端で、手遅れで、満足度が低いものかは誰もが理解しているだろう。

今必要なのは、生まれる前の母子手帳発行から亡くなった後の遺言実行・遺産の始末まで連続してケアする制度。

誰か一人の人が担当になることは出来ない。ライフは100年もあるのだから。ライフステージケアを担当するAIスタッフ(仮想スタッフ)を用意する。仮想スタッフはタイミングタイミングで市役所の機能別スタッフ(各係)に指示をしてミッションを遂行する。法律や制度の変更も踏まえた的確なものになる。

仮想スタッフの分身が、アプリの形で本人に提供される。人型ロボットの形で家の中に置かれる。行政サービスを利用するときの良き相談相手にもなれるはずだ。

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現在でも市役所には住民データが溢れている。相互運用性の低い、個別問題特化型の、従って歯抜けのデータ。病院のカルテにも似ている。病気や怪我と診断した内容、病院へ来た時だけの内容が並ぶ。すべての健康データが網羅されることは無い。バラバラの縦割り行政の形がそのまま個人の情報の形として市役所の中にある。

先ずライフステージの概念を導入する。

ステージに現在のサービスを投影する。重複する部分と欠落する部分を明らかにして、適正な配置を行う。ステージによってサービスがドライブする形を作る。スキームができたら、事例をAIに読み込ませて、仮想スタッフ(AIスタッフ)を導入する。トライアルから本運用までには数年はかかるだろう。

国に任せてはいけない。時間と金を散々使って現場のニーズにミートしないまがい物になるのは必至。市同士が協力しながら進めるのは現実的だろう。

今までの10倍の数のサービス事業体が出現するのは避けられない。民間との協調もより必要になる。行政サービスの線引きの難しさの議論も必要になる。それでも、必要なことだし、総コストは低減するはずだ。

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